さて、コマーシャルです (・з・)
友達のDanielleがCDを作りました。何曲かは妻も参加してます。
税込み¥1500です。購入希望の方は、私かダニーにメールください。生望バプテスト教会のメールアドレスに送っていただいてもかまいません。
また、AmazonかiTunesで購入すれば、MP3データのみなので、もう少し安く買えます(アメリカのレートのようなので、円安・円高によって変化があるかも)。
サンプルも聞けるけど、Amazonサンプル音悪し!
iTunesはiTunes storeでアーティスト名「Danielle and Naomi」で検索すると見つかります。
アルバムタイトルは「Friends」です。
こちらの方がサンプル音源がいいかな。
2014年2月20日木曜日
2014年2月15日土曜日
2014年2月13日木曜日
Christ is All /2013.7.9
子供の頃から歌ってきた聖歌。Wikiによると「現在は教文館が版権をもっており、絶版になっている。」なんだそうですね…。
その聖歌の中でも私の好きな曲ベスト3に入るのは、「貧しくあれども」(聖歌473)。Youtubeの動画を貼り付けようと思ったのですが、日本語はもとより英語のものさえ見つけられず(誰か見つけたら教えて)。
MIDIのものが見つかったので、リンク貼っておきます。リンク上の歌詞は英語ですが、日本語訳の歌詞もなかなかいい線いってると思うのですが。中田さんって、才能あるなーと。
christ is all
版権の関係で歌詞は載せられないのが残念
その聖歌の中でも私の好きな曲ベスト3に入るのは、「貧しくあれども」(聖歌473)。Youtubeの動画を貼り付けようと思ったのですが、日本語はもとより英語のものさえ見つけられず(誰か見つけたら教えて)。
MIDIのものが見つかったので、リンク貼っておきます。リンク上の歌詞は英語ですが、日本語訳の歌詞もなかなかいい線いってると思うのですが。中田さんって、才能あるなーと。
christ is all
版権の関係で歌詞は載せられないのが残念
ミスター・ムーンライト /2013.7.2
私は照明好きである。おしゃれなお店に行ったら、まずチェックするのが照明器具や照明の設置方法など。
さて、我が家にいらしたことのある方は見かけたことがあるかもしれません。廊下にこのようなランプがついていることを。
これは中にローソクをいれて使うランプで、このタイプのローソクを使います。
さて、我が家にいらしたことのある方は見かけたことがあるかもしれません。廊下にこのようなランプがついていることを。
これは中にローソクをいれて使うランプで、このタイプのローソクを使います。
しかし、火事を経験している私としては本物の火を使うのは怖いので、このような電池タイプのものを今まで使っていました。
しかし、この電池タイプ。一晩つけっぱなしにしてると、すぐに電池が切れてしまう。
さらに、そんなに明るくない。
子供達やお客様が夜トイレに起きたりする時に、廊下を照らすには暗すぎる。ということで、ほとんど飾りと化していました。
しかし、洒落たデザインでもあり、深夜の廊下の暗さを解決したいという思いもあり、ちょっと工作をしました。
ランプに電球コードを通し、コンセントから電源を供給するという工作。ちょっと工夫がいりましたが、完成したらこんな感じ。
夜中には明るすぎず、いい感じで廊下を照らしてくれています。
悲しくてやりきれない /2013.6.17
花嫁 /2013.6.21
昨晩ラジオを聞いているとこの曲が。
作詞者のはしくれとして、この歌詞には憧れます。
「小さなカバンに詰めた 花嫁衣裳は
ふるさとの丘に咲いてた 野菊の花束」
この一節で情景や花嫁の思いが浮かんでくるんですよね。
作詞者の北山修氏はミュージシャンでもあり精神科医でもあるという方。
「戦争を知らない子供たち」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とかも作詞されてますね。
駆け落ちの歌ですけど(笑)、歌詞の中の2人はきっと死ぬまで添い遂げてくれると。
作詞者のはしくれとして、この歌詞には憧れます。
「小さなカバンに詰めた 花嫁衣裳は
ふるさとの丘に咲いてた 野菊の花束」
この一節で情景や花嫁の思いが浮かんでくるんですよね。
作詞者の北山修氏はミュージシャンでもあり精神科医でもあるという方。
「戦争を知らない子供たち」とか「あの素晴らしい愛をもう一度」とかも作詞されてますね。
駆け落ちの歌ですけど(笑)、歌詞の中の2人はきっと死ぬまで添い遂げてくれると。
あれ?/2013.6.18
今日の一コマ。
4つ年下の弟にいじわるをする長男。次男も気が強いので負けずに泣き叫ぶ(まだはっきり話せないので)。
そこへ父登場。
父 「同じ事を自分がされたらどう思う?」
長男「いやだ」
父 「自分がいやだと思うことを、他の人にしたら良くないよね」
そこで父深く反省…
イエス様が教えてることと違うこと言ってる…
イエス様は
「自分がしてほしいことを、他の人にもしなさい」と教えられたので、
「自分がしてほしくないこと…」とは言わなかったなー。
「それって、結局同じ事じゃない?」と言われそうだが、肯定的な言葉を使うか、否定的な言葉を使うかって、随分違うんじゃないでしょうか?
4つ年下の弟にいじわるをする長男。次男も気が強いので負けずに泣き叫ぶ(まだはっきり話せないので)。
そこへ父登場。
父 「同じ事を自分がされたらどう思う?」
長男「いやだ」
父 「自分がいやだと思うことを、他の人にしたら良くないよね」
そこで父深く反省…
イエス様が教えてることと違うこと言ってる…
イエス様は
「自分がしてほしいことを、他の人にもしなさい」と教えられたので、
「自分がしてほしくないこと…」とは言わなかったなー。
「それって、結局同じ事じゃない?」と言われそうだが、肯定的な言葉を使うか、否定的な言葉を使うかって、随分違うんじゃないでしょうか?
父の日 /2013.6.17
昨日は父の日でしたが、前日の土曜日の夜から妻が体調を崩し、日曜日は一日寝たきりでした(実はまだ回復してない)。
朝から子供達の世話をし、いっしょに教会に行き、日曜学校から礼拝説教まで終えて、何人かの方と相談をし、それから昼食を準備し、昼食後にはみなさんと教会の掃除。
掃除が終わって教会のみなさんが帰ってから、買い物に行き、晩御飯を準備し、子供達をお風呂に入れ寝かせつけ、洗濯機を回し、食器を洗い、それから洗濯物を干し、11時過ぎになりました。
日中は本当に教会のみんなが子供達の面倒をよく見てくれ助かりました。
そして日曜日は「父の日」でしたが、よーく考えたら、これこそまさに父の日だった!と。
朝から子供達の世話をし、いっしょに教会に行き、日曜学校から礼拝説教まで終えて、何人かの方と相談をし、それから昼食を準備し、昼食後にはみなさんと教会の掃除。
掃除が終わって教会のみなさんが帰ってから、買い物に行き、晩御飯を準備し、子供達をお風呂に入れ寝かせつけ、洗濯機を回し、食器を洗い、それから洗濯物を干し、11時過ぎになりました。
日中は本当に教会のみんなが子供達の面倒をよく見てくれ助かりました。
そして日曜日は「父の日」でしたが、よーく考えたら、これこそまさに父の日だった!と。
遊びに師なし? /2013.6.1
2歳になった次男は、ここ最近いろいろなことを話せるようになって来ました。
なかでもこれを言われると…というのが
「とうさん、いっしょに あーぼう(遊ぼう)」
これ言われたら遊ばないわけにはいかないでしょ…。
無菌病室の人びと /2013.4.19
今、姶良市の図書館では書籍の整理で、除籍された書籍を無料でもらえます。
で、私もさっそく図書館に行き物色して来ました。そこでもらってきたのがこの本です。無料で手に入れた本を紹介するのもなんですが(^_^;)
で、この本ですが、もらってきたその日にすぐに読み終わりました(実際は2時間ぐらい)。その理由は、なんと言ったらいいんでしょうか、時代がかぶっているというか、すべてにおいて自分が経験してきたことに重なるからでしょうか。
この本は血液の専門医として患者の治療に取り組んできた著者が、新人時代から1990年代までに出会った患者達にまつわるエッセイ集で、本の中にははちょうど自分が病気だった頃、同じように病気だった多くの人びとが登場します。
「急性骨髄性白血病」「急性リンパ性白血病」「再生不良性貧血」「寛解」「骨髄穿刺」「髄注」「プレドニソロン」「満月様顔貌」「ダウノマイシン」「全脳照射」などなど…みな私には聞き慣れた言葉ばかりです。
本の中に出てくるこの患者さんは私の知ってるあの人と、この患者さんはあの人と重なるなー…。あーあの時代の治療とか病院てこんな雰囲気だったよなー。あ、これ自分もされたわ、とか読みながらずっとそんな感じでした。
現在は白血病など血液の病気はかなり治療法も進化し、寛解導入後の予後の成績も上がっていると聞きますが、20年以上前はまだまだでした。現に私といっしょに治療をしていた皆さんは一人また一人と亡くなり、私ひとりが残りました。
いつも言っていることですが、私の人生は私より先に同じような病気で亡くなっていった人々の人生をあずかっているような気がするのです。いつか最後の時が来る時に、与えられた人生を精一杯生きたと皆さんに報告できるように歩みたいと思わされます。
春の小川 /2013.4.15
春の小川はさらさらゆくよ 岸のスミレやレンゲの花に♬
春がやって来ましたね。昨日は教会の総会でしたが、なんとか終りました
教会の皆さんの協力はすばらしいですね。長い時間ありがとうございました。
そういえば「春の小川」など、たくさんの童謡唱歌を作曲した岡野貞一氏はクリスチャンでしたね。
ルパン三世 /2013.4.10
『自由ってのも、結構面倒なもんでよ。いつでも自由でいるためには、やんなきゃなんねぇしんどいことだってあるんだよ。』(ルパン三世 ワルサーP38より、ルパンの言葉)
わかってるねー、ルパン。
『キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。』(ガラ5:1 )
わかってるねー、ルパン。
『キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。』(ガラ5:1 )
It Wasn't His Child /2013.4.6
自分の子どもは可愛い。親ならきっとそう思うはず。
自分の子供は愛おしい。親ならそう感じるはず。
自分の子供といっしょにいるのは楽しい(そうでもない時もあるけど(^_^;))。親ならその時間を大切にしたいはず。
だから神様は私達を「自分の子」としてくださったんだね。
『あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。』(ヘブル12:7)
あ、それからタイトルの「It Wasn't His Child」をYoutubeで検索してみてね。
聖書の霊感と権威 /2013.4.4
『聖書の霊感と権威は、ウォーフィールドの著書。十全霊感、言語霊感を主張しており、この立場は聖書の無誤性に関するシカゴ声明に受け継がれている。聖書論について学ぶものは、ウォーフィールドの論証を避けて通れないと言われる。』(Wikipediaより)
ええ、避けて通れないんですか、そうですか…。古本で見つけたので買いましたよ…。ちょっと高かったけど…。
ええ、避けて通れないんですか、そうですか…。古本で見つけたので買いましたよ…。ちょっと高かったけど…。
With Or Without You /2013.4.2
いわずと知れたU2の代表曲。20代前半の頃からよく聞いてました。
ボノさんは何も解説してないようですけど「and you give yourself away」はやっぱり「あなた(キリスト)は自分を投げ出された」と読みたいですね。
ある解説では「肝心の"With or without you(あなたがいてもいなくても)"というのは、キリストがいなければ私たちは信仰を保つことができないが、あなたがいてすら信じ続けることは難しい、という意味だと思う。」とあったり、色々解釈があるようですね。
ブラザー・サン・シスター・ムーン /2013.3.23
今日、教会で久しぶりに何人かの方といっしょに見ました。
もちろん好きな映画ですが、10年前の自分と今の自分では、感想が違うかも。
まだ見たことはないと言う人は、一度ぜひ。
アッシジのフランチェスコについて調べてから見ると、よりわかりやすいかも。
十字架とは、神と人の立場が逆転した場所 /2013.3.15
十字架とは、神と人の立場が逆転した場所。
エデンの園で、人間は自らを神としたいと神から離れた。
しかし、その人間を創造主なる神は決して見捨てられなかった。
何度も何度もご自身のもとに帰るようにと声をかけ続けた。
そしてついに神は「神のあり方」を捨てて、「神になろうとした人間」と同じ所に立たれた。
「神になろうとした人間」と「人間となられた神」。
十字架において、ついに人は神を従えたかのように見えた。
人に裁きを与えるはずの神は、人から裁きを受けられた。
「本当に神なら、今十字架からおりてきてみろ!」という声に、イエスは何も語られず、ただ十字架で苦しみを受けられた。
イエスの死は、神への勝利、人間はついに神の立場を勝ち取ったかのように見えた。
しかし、勝ったのは神、勝ったのはイエスであった。
いや、勝ち負けという表現は正しくないだろう。
愛だったのはイエスだった。
神を拒んだ頂点の十字架で、神は人間に頂点の愛を与えていた。
人間が神に挑み、実現したかのように見えた十字架。
しかし真実は、神が愛だからこそイエスの十字架は実現した。
神が愛でなければ、十字架は存在しない。
十字架とは、神と人間の立場が逆転したかのように見える場所。
しかし、実は神が神であることが最も鮮やかに示されている場所。
十字架は神が神であることの証しであり、人が神になれないことの証しでもある。
神はどこまでも愛なのだ。
エデンの園で、人間は自らを神としたいと神から離れた。
しかし、その人間を創造主なる神は決して見捨てられなかった。
何度も何度もご自身のもとに帰るようにと声をかけ続けた。
そしてついに神は「神のあり方」を捨てて、「神になろうとした人間」と同じ所に立たれた。
「神になろうとした人間」と「人間となられた神」。
十字架において、ついに人は神を従えたかのように見えた。
人に裁きを与えるはずの神は、人から裁きを受けられた。
「本当に神なら、今十字架からおりてきてみろ!」という声に、イエスは何も語られず、ただ十字架で苦しみを受けられた。
イエスの死は、神への勝利、人間はついに神の立場を勝ち取ったかのように見えた。
しかし、勝ったのは神、勝ったのはイエスであった。
いや、勝ち負けという表現は正しくないだろう。
愛だったのはイエスだった。
神を拒んだ頂点の十字架で、神は人間に頂点の愛を与えていた。
人間が神に挑み、実現したかのように見えた十字架。
しかし真実は、神が愛だからこそイエスの十字架は実現した。
神が愛でなければ、十字架は存在しない。
十字架とは、神と人間の立場が逆転したかのように見える場所。
しかし、実は神が神であることが最も鮮やかに示されている場所。
十字架は神が神であることの証しであり、人が神になれないことの証しでもある。
神はどこまでも愛なのだ。
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